往路に続いて復路も区間新ラッシュ。「記録は破られるためにある」とはよく聞く言葉だが、こんなにポンポンと区間新記録が出ると「スゲー」と思いながらも「なんで?」という疑問が生じてしまう。1秒、2秒でも記録を更新するのは大変だと思うのだが、今回は2分更新とか40秒更新とか、ちょっとSF的な状況が続いて驚きの連続だった。NIKE厚底シューズの効果をたくさんのメディアで見て来たし、実際の選手達が「シューズのおかげ」のようなことも言っているし、シューズの効能という部分ももちろん疑う余地はないのだが、それでもやっぱり選手の力と思いたい。力の進化によるタイムと思いたい。両方の力なんだろうけど・・。
青山学院大を追う東海大がどこまで差を縮めるのか・・・と思っていたが、最後は青山学院大の強さが際立つ形で優勝。しかもこれまでの総合最高記録を7分も短縮しての大会新記録だった。青山学院大学チームの皆さん、関係者の皆さん、おめでとうございます。
今日はクラブの初練習を行った。陸上競技場はまだ使えないので葛西海浜公園の砂浜で行ったが快晴の中で練習ができた。OBも来てくれてより頑張れたね。
いよいよ2020年シーズンに本格的に向かうことになる。我々のところまでまだ正確な情報は来ていないが、今年は東京オリンピックの関係もあり、中学生や小学生の大会が少し早まるという噂も聞こえて来ている。小中学生にとって、もし勝負の試合が一ヶ月早まるとするとそれはとても重要で深刻な問題だ。1日も早いインフォメーションを待ちたい。
箱根駅伝往路は「やっぱり大作戦」の青山学院大が往路新記録で往路優勝。5区では國學院大学の逆転があるかも・・と思っていたが、後半は差が広がる形で決着した。今回は1区以外は全区間、区間新記録。驚くほどのスピード駅伝だ。特に花の2区の東洋大・相澤選手の1時間5分台、3区東京国際大・ビンセント選手の59分台は「スゲー」しか言葉が出てこなかった。そして区間賞の5人全員がNIKEのネクスト%を着用していたということにも「スゲー」しか言葉が出てこなかった。明日はどうなるのか・・優勝は?タイムは?
今回の箱根駅伝、とても残念なことに清新JACのOBの名前はなかった。今年はなんとか・・と思っていた東洋大4年・小室は6月末に行われた日本選手権3000mSCで不運にも剥離骨折し間に合わなかった感が強い。故障しても選ばれたかはもちろん判らないが、最後までメンバー争いをしたかっただろうなと思う。今回は2区相澤選手への給水を担当した。卒業後は実業団・愛知製鋼で陸上を続ける。これからも応援し続けたい。
箱根駅伝が行われる正月になると、かつて山形市で蟹料理専門のレストランを経営していた頃を思い出してしまう。大学を卒業後、私は某大手旅行会社に勤務していたが、関西出身の父が「お前も長男やからな。考えたらどや」という言葉を残して亡くなり、悩んで悩んで旅行会社を辞め、後を継ぐことにした店だった。年末年始は12/31と1/1だけが休みで、12月の最初から1月第一週が終わるぐらいまでは猛烈に忙しかった。特に今日(1/2)の忙しさたるや「忙しい」という言葉では言い表せないほどだった。「混乱」と言った方がぴったりのような気もする。毎年、年末年始になるとあの頃のことが思い出される。約5年間この店の経営に携わったが、いろいろあって店を閉店し、他の道を歩んできた。今日も懐かしく、少し感傷的になりながら当時を思い出してしまった。
今日の午後は、皇后杯 都道府県対抗女子駅伝に出場予定の悠○の練習を行った。3年男子のそ○に練習パートナーを頼んで手伝って貰い、り○が一緒に練習しに来てくれた。本番は1/12(日)。しっかり練習して本番に向かいたい。そ○、り○、ありがとう!
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今日は恒例の初日の出ランを行った。令和最初の初日の出ランだったが、朝のうちは雲が多く初日の出らしい太陽のみなぎる力を感じられずに終わってしまった。残念。でも雲間にわずかに見えた太陽に今年の目標を誓った部員達も多いだろうと思う。
元旦は、1年間の中で「今年こそ」「今年は」と気持ちを切り替えるに最も相応しい日だ。新学年になる4月もそうかもしれないが、陸上競技は4月からはもうシーズンインなので、元旦に「今年こそ」と考えて3月までしっかり「今年こそ」実現練習に取り組み、4月からは「今年こそ」本番が始まるのだ。だからこの正月を逃してはいけない。「今年こそ」と考えるのは最低限今でなければならないと考えている。
4月からのシーズンでみんなの「今年こそ」が実現されていくのをじっくりと見せて貰えるように、今までがんばって来たことに上積みができる練習をしていこうと思う。
まずは昨年はできなかった目標を「今年こそ」書いてもらおう。
1999年夏の終わりになんとなく「清新JAC」として活動をし始めて丸20年が経過し、今年は21年目のシーズンになる。1999年当時はクラブの名前をどうするかで当時の保護者の方と色々と話したことを覚えている。「畠中クラブの方が判りやすいのではないか」「清新JACだとなんだか判らない」等の意見もあった。確かに今でも「清新JACってなんの略?」と聞かれて『SEISHIN JUNIOR ATHLETIC CLUB』と答えると「JUNIOR ATHLETE CLUBかと思った」という方も多い。それでも20年間活動して来て少しは名前が知られるようになれたかなと思う。
今年はクラブとしても変化がある年になるかもしれない。いろいろなことが楽しみな2020年だ。