私が清新JACに加入したのは、2003年の中学2年生の時でした。当時、東京都の上位で競技出来ていたものの、1人での練習に限界を感じ始めていました。そんな時、1学年上の先輩・畠中悠希くんのお父さんが江戸川区でクラブチームを運営していると聞き、HPを通じて連絡を取ったことが、畠中康生コーチとの出会いでした。
清新JACでは、先輩・後輩・同輩に恵まれ、本当に貴重な時間を過ごさせて頂きました。目標に向かって努力することの大切さ、それでも簡単には夢が叶わないという不条理、仲間と喜びや悔しさを共有することの尊さ――挙げればキリがありません。
夢を追うことの素晴らしさ、その過程で得られるかけがえのない仲間、そしてその仲間と様々な感情を共有できること。
このチームは私にとって本当に特別な存在で、多くの大切な事を教えてくれました。清新JACでの経験が、今の私の礎となっています。
清新JAC→早稲田実業→早稲田大学(2011箱根駅伝優勝!)→現早稲田実業監督
中学校の陸上環境に悩んでいる時に、清新JACを見つけて即入部を決めました。入部時は県大会の出場が目標でしたが、関東トップレベルの選手が集まり、互いに切磋琢磨しながら取り組んだ日々を通して、入部時には考えられない成長ができました。インターバルでラスト一本を競い合ったり、菅平での合宿、練習後のシャワーで語り合った思い出は今も鮮明に浮かびます。また清新JACは選手の自主性を大切にしているので、コーチの丁寧な指導の下、自分で考え行動する力を養い、自分の目標を達成する経験は、卒業してからも自分の挑戦の原動力となっています。今でも定期的に集まったり一緒にビジネスをしたりと最高の仲間にも出会えました。
清新JACは、中学時代の大切な思い出であり、今の自分を作っているターニングポイントです。
清新JAC→仙台育英(都大路優勝)→早稲田大学→金融機関
私の清新JACでの思い出は、みんなと全国小学生クロスカントリーリレーの東京都代表として出場したことです。チーム全員で優勝を目指して練習に取り組み、お互いに競い合い、自分以外の誰かのために頑張ることが出来る。厳しい練習でも襷を繋ぐ仲間のために一生懸命に取り組むことが出来る。この経験が、私が駅伝を好きになったきっかけでもあり原点でもあります。コーチ、選手達が同じ想いで目標に向かい、真剣に挑戦できたからこそ心から楽しかったと感じています。
なりたい自分を作るのは、今頑張っている自分だけだから、全力を尽くして悔いの無いようにやりきる。私の礎となっている清新JACでの日々は、本当にかけがえのない時間を過ごし、素晴らしい宝物になっています。
清新JAC→立命館宇治高校→立命館大学(2024全日本大学女子駅伝優勝)
小学六年生から中学三年生までの四年間、清新JACで陸上に打ち込みました。初めはサッカーのための体力作りの一環で参加していましたが、走る楽しさを知り、中学からは本気で長距離に取り組みました。練習は走力は関係なく、全員一斉スタート形式の練習が多く、友達やライバルと切磋琢磨することで力をつけることが出来ました。また、中学一年の頃都大会優勝、中学三年生では全国大会に進むことができ、全国トップの選手たちと戦うことが出来ました。
辛いことや、きついことが多いのが長距離ですが、清新JACに出会い、それ以上の楽しさや思い出を得ることが出来ました。
そして今では箱根駅伝強豪校で競技を続けることが出来ています。
このチームに出会えたことが今の自分につながっていると思うと感謝でいっぱいです。
将来箱根駅伝を走りたい方や、全国大会で活躍したい方は、是非清新JACで仲間と切磋琢磨して強くなって欲しいなと思います。
清新JAC→八千代松陰高校→青山学院大学
私は、小学2年生から清新JACで陸上(中長距離)を続け、中学3年時には、3000mで全国大会6位という結果を残すことができました。練習は辛いことも多々ありましたが、仲間たちと共に楽しみながら取り組むことができました。今は選手兼学生コーチとしてクラブに戻り、子供達と楽しくやっています。清新JACでの活動がその先にもつながり、1500mでは高校2年歴代2位という記録を出すこともできました。クラブでの指導やサポートには、これ以上ないほど心から感謝しています。
自分よりも強い人が当たり前のようにいて、中学3年で自分が1番クラブで速い選手になったとしても、同じくらいの仲間がいて、切磋琢磨できました。
小中学生のクラブチームでここまでレベルの高い人たちの集まるクラブなんてありません。
たまたま、家の近くにあった陸上クラブがこんなに強い、日本一のクラブだとは思いませんでした。私にとって清新JACは陸上人生の全てでした。
清新JAC→農大二高(中退)→清新JAC 1500m 3分44秒84をマーク
【夏の都大会前恒例⁉涙が浮かぶ、コーチからの熱い応援ムービー‼】
トラックシーズン直前になると、畠中コーチが応援ムービーを作ってくれていました。
練習や合宿など、みんなで乗り越えてきた日々の写真に「君たちならできる‼」と、熱いメッセージが流れてくるムービー。これは心に染みましたね。もちろん、何度も見返して本番に挑みました。モチベーションが高まって、自己ベストを更新し、全中・関東大会出場も叶いました。
そんな私は、高校卒業とともに陸上から退きましたが、やっぱりまた走りたくなって、2022年~再び走り始めます。
そんな時、「また合宿においで」「練習おいで」って、畠中コーチがクラブに呼んでくださって。
行ってみると、クラブのOBがコーチとしてバイトをしているんですね。戻る場所があるっていいですよね。
畠中コーチの、情に満ちた思いやりに支えられた人は多いのではないかと思っています。
私は、清新jacに2年間所属していて、その期間で全国大会に2度出場しました。
当時を振り返ると、清新jacに入ったからこそ達成できた実績だと感じます。
三年生が始まったばかりの4月、全国標準の11.20からは程遠い12秒代のタイムを出してしまうこともありました。うまく走れなくて、心が挫けそうになっていました。
そんな私に対してコーチは技術面のみならず精神面においても優しく指導してくれました。
そのおかげで少しメンタルに余裕ができ、陸上に集中することができました。
少し暖かくなり、走りやすくなったのと練習の成果が出てきたおかげでタイムが伸びていきました。
記録を更新するたびにコーチが褒めてくれたり、次に向けたアドバイスをしてくれたりしたおかげで走るたびにタイムを更新することができました。
また、仲間と一緒に走ったり互いの成長を自分のことのように喜びあったりして切磋琢磨してきたことも私の成長の要因だと思います。
そして7月、この日のために一年間コーチや仲間たちと二人三脚で練習してきたおかげで、11.11秒のベストタイムで走り、全国大会へ駒を進めることができました。ゴールした瞬間の喜びと達成感は今でも忘れません。
全国では力不足を体感したものの、そこに至るまでの過程で得られた体験の価値は非常に大きいと実感してしています。そういった仲間との思い出が今の私を作り上げ、支えてくれていると感じます。そして、自分の可能性を見出し、最後まで信じてくれたコーチにとても感謝しています。
怪我をして中々思うようにいかなく何もかも嫌になっていた時にコーチから自信につながるような言葉をかけていただいたりなどと選手の私と真剣に向き合い、共に戦ってくださり、絶対に私に不安を与えず毎日安心感があり心の底からコーチのことを信頼することができました。
練習に来るたび陸上の楽しさも実感し、頑張ろう!と思えていました。
練習だけでなく、レクなどもありクラブメンバー同士の仲も深まったり「みんなで頑張る」ということもできたのでとてもいい思い出になりました。暖かいコーチの方々に囲まれ、楽しく練習ができる、そんな清新ジャックで陸上ができて本当に幸せでした。
2021全中茨城大会200m7位入賞