2002年8月、清新JAC創部後初めて全中京都大会に出場。
「全中」が何のことか全くわからずに「全中に出たいな」と息子の悠希と話をしたことを昨日のことのように思い出す。幸い、悠希が入学した中学校は、当時陸上では強豪中学で、10年ほど連続で全中出場者を輩出していると聞いていた。
「どうしたら出られるのか?」から調べ始めた全中。その「どうしたら?」が、都大会で参加標準記録を上回れば出られるらしい、、その参加標準記録ってどんなタイム?と少しずつ調べて全中とは何なのかが分かってきた。
でも、はたしてそんなハイレベルなタイムをどうしたら出せるのか・・・・・
私は分からない中で考え悩みながら練習メニューを作り、悠希はキツい練習にも前向きに耐えて、目標を達成した時の嬉しさは本当に大きなものだった。
当時(2002年)の参加標準記録の一覧

あの全中初出場の夏から、23年が過ぎた。清新JACとして仲間数人と活動を始めてからは、27年目を迎えている。
「全中」を知ってから、クラブ部員が目標の全中に出場した人数は今年の沖縄全中で62人になった。2002年初出場以降、2004年、2015年は出場者が0人で悔しくて唇を噛みしめ、2020年はコロナ禍で全中自体が中止になり別の悔しさで唇を噛みしめた。他の年は全てで清新JACから全中へ選手を送り出せている。
そして、来年2026年の全中標準は下記のようになりそうだ。

2002年の標準と比べるとレベルが高過ぎて、ため息が出てしまうような全中参加標準だが、目標を持って夢を持って頑張っていこうと思う。
来年は山口全中だ。何人がその扉をこじ開けるだろうか。この冬季練習からしっかりと練習を重ねていきたい。
山口か・・沖縄よりは近いけど、遠いな・・・と思いながら、密かに先日、飛行機を予約してしまった(笑)。